なきゃいけないものはないかもしれないけど、なくていいものもない
こんにちは〜
皆さんご存知、中学にほとんど行かず、高校も1日で辞めてしまった林です。
いけなかったですね〜
そんなことをいろんな方に言っているからでしょうか、思春期の子供に関してたまに相談を受けるんです。
学校に行けない。
やりたいことがない。
調子が悪い。
時には自分の存在価値を疑うようなことに関する相談まで。
まぁ学校に行っていなかったのなんて25年ぐらい前なんで、もうその頃の記憶なんて曖昧ですが、なんとなくは相談に乗れるんですね。
自分も当事者だったんで。
そして獣医になってから辛かった時期もあり、ちょい鬱みたいな時期もあったんで、その辺も相談に乗ったりもするんですよね。
そんな中で街を歩いていてふと思ったんです。
「この世の中って、なきゃいけないものってないかもしれないけど、なくていいものもないよな」って。
これ、多分最初に気がついたのは自分でやっている自然農もどきの畑にいる虫を見た時だと思うんです。
虫って、大体の人嫌いますよねw
虫が家にいると、問答無用で殺しにかかりますよね。
殺虫剤が普通に手に入る世の中です。
これだけ人間の命や動物の命をなんとかして助けようとしているのに、虫に関しては簡単に殺してしまう。
なんか矛盾しているな〜って思うんですが、まぁ今回はそれはおいておきます。
虫って家の中にいると殺されちゃうこと多いですよね。
でも外の公園なんかにいれば殺されない。
これは人間の都合ですよね。
家の中には「あってはいけない」っていう観点でそうさせてしまうんだと思います。
じゃあ畑ってどうなのか??
っていう観点で見ると、これも面白いんです。
畑には虫はいるものです。
いて当たり前です。
その虫に「益虫、害虫」の区別ってあるのかな?って思ったんです。
一般的には作物を荒らす虫は「害虫」であって、その虫たちを食べてくれる虫は「益虫」って言われます。
でもそれってただ人間がつけただけなんですよね。
本来はそこに良い悪いはないんです。
スズメバチがすごい良い例だと思うんですよね。
スズメバチって100人いたら99人ぐらいは「悪いやつ」っていう認識じゃないですか?
刺されたら死ぬかもしれない。
でもそんなスズメバチも受粉をしてくれるし、「害虫」と呼ばれる虫を食べてくれたりもする。
つまり「益虫」的な部分も果たしているんです。
そう、益虫にもなれば害虫にもなる。
鳥もそうですよね。
トマトなんがよく持っていかれますが、虫を食べてくれたりもするし、なんなら食べたものの種を遠くまで運んでくれる可能性があるので、その植物にとってはむしろ益かもしれない。
そういう観点で見ているとですね、自然って完璧に回っているんです。
そこに存在している生き物たちは、そこに存在するべくして存在しています。
いなくていい生き物は1種類たりとも、いや、1匹たりともいない。
そう気がつかされるんですよね。
これは虫や動物だけではないです。
例えば今スタバでコーヒーを飲んでいます。
私の世界にはいろんな人が映っており、いろんな家具があり、いろんな飲み物があり、外を見ればいろんな植物が生えています。
そのどれもが「絶対になければいけない」か?と問われれば「そうではないかもしれない」ですが、じゃあ
「なくなって良いものか?」と問われれば「そんなことは決してない」ですよね。
そこに存在している、っていうことは必要だからそこにあるんであって、必要でなければ自然はそれを生み出していないはず。
もうね、そこにいるだけで多分良いんです。
だって産まれた時、お母さんからそう思われていたはずですよ。
「産まれてきてくれてありがとう」って。
ミツバチはただ蜜を集めているだけですが、結果として世の中の植物の受粉をしています。
自分の好き勝手やっているだけで、世の中のためになっています。
イチローや大谷翔平も多分そうです。
自分の好きな野球を突き詰めて、結果として世の中に感動をもたらしています。
世の中のために、誰かのためになんて生きる必要なんてないし、そこに存在価値があるわけでもないと思うんですよね。
ただ好きなこと、やりたいことをやればいい。
それを好きなだけやっていれば、結果として誰かの役に立つ。
自然はそうやって回っているんだと思います。
もし今疲れすぎていてやりたいことがないんであれば、別に動く必要はないと思います。
ずっと寝ていればいい。
気が済むまで寝ていればいい。
それが今やりたいことなら、めちゃくちゃそれを楽しんでやればいい。
そのうち寝るのにも飽きてくるから、その時動けば良いんです。
タイミングはベストな時にやってくるから、急ぐ必要は全くないんですよね。
「急がば回れ」っていう素敵な言葉があるからね。


桜も富士山も、そこにあるだけで完璧です👍
では🤗