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動物と共に暮らすということ

ときわのもり動物病院

こんにちは〜

鎖骨骨折生活31日目。

動物病院を作る意味、というものを改めて考えている林です。

ちょっと真面目w


そろそろ犬猫のご飯のことを書きたいな〜って思っていますが、昨日「愛玩動物看護師〜」みたいな活字を見てしまったので、今日はそっちの話題。


「ペット」

この言葉、ちょっと、いやだいぶ使いたくない言葉なんですよね。

「愛玩動物」

はもっと使いたくない。


玩って玩具、つまりおもちゃっていう意味ですよね。

大切にする、みたいな意味はわかりますが、それなら慈愛の意味のある言葉が適切だと思います。

そもそも動物っていうのは人間と共存していくものであって、というか人間が動物や自然と共存していくものであって、人間が可愛がるためにあるものではない。

動物や自然を大切に扱うっていうのは極々当たり前なはずなんだけど、なぜかそれを敢えて表現しないといけない世の中、っていうのに少し違和感を覚えるんですよね。

可愛がるというよりも「尊敬、尊重する」

子供と一緒です。

親にとって子供はいつまでも子供。

親がいないと何もできないって思っているけど、実際自分が子供の立場だったら、子供だって年齢なんて関係なく一人の人間です。

もちろん親の手助けがないと生きていけない部分もありますが、親が過干渉になり、子供を自分のもののように扱ってしまうと、そこには居心地の悪さが出てしまいます。

ちゃんと子供を尊重し、その上で見守ってあげる姿勢が必要なんだと思います。

動物も同じです。

「私がいないと・・・」って言っている飼い主さんの犬や猫にの方が分離不安だったりストレス行動が多いような気がします。

私はいないとダメです、でも私がいない時間でも動物っていうのは勝手に生きています。

一人の人間と接するような気持ちで、ぜひ動物たちに接すると「愛玩」っていう表現にならないと思うんです。

子供達のことを「愛玩児童」なんて間違っても言わないですよね。


でも今って「動物は可愛いので大切にしましょう。」って敢えて言わないといけない世の中なのかもしれません。

みんな忙しく、日々の暮らしのことで一生懸命。

そんな時は自然や動物に触れる機会がどうしても少なくなってしまいますし、心に余裕がなくなって相手に対しても優しくなれなかったりもします。

そういう寂しさや虚しさ、心に余裕がない時って何かに頼りたくなったりしますよね。

人間だと常に一緒にいてくれないし、恋人ができたって喧嘩をする時もあれば別れる時もある。

そう言った不安定な状況になるとまた心が寂しくなる。

その点動物って家の中で飼っていれば常に帰ったらいてくれるし、ご飯をあげるのもお世話をするのも全部自分なので、自分の方を向いてくれる。


ただ動物にも自分の都合ってものがあるんですよね。

嫌なことをされたら怒るし、嫌いなものは食べたくない。

「お手」を強要されたってやりたくない時はやらないんですよ。


そんな時、人間っていうのは勘違いしてしまうんです。

「私がお世話をしているのに、なんでいうことを聞かないんだ・・・」

そうすると動物にあたってしまう人もいるでしょう。

中には飼いたくない、と言って保健所に預ける人もいるでしょう。


それだけじゃないですよね。

私は基本的に野生の猫を捕まえて避妊去勢するのはあんまりいい気持ちではありません。

だってその子達にはその子たちの一生があるのに、それを人間の都合でしていいものなのか?っていう疑問があるんですよね。

でもそれも前に書いたことと一緒。

結局は今人間が社会の中心にあり、動物は人間のコントロール下になければいけない、っていう風になっているように思うんです。

それって東京や大阪を中心に、今の世の中っていうのは人間が作った世の中になっており、自然と共存する方向には向いていないから。

考えてみれば何千年、何万年と犬や猫、そのほかの野生動物と共に暮らしてきたんです。

犬や猫はほかの動物よりも人間と仲良くできたから、今こうして人間に懐いているんだと思います。

何万年もできてきたことが、いきなりこの数十年でできなくなってきている。

これは動物が人間に迷惑をかけるようになったのか、人間が動物を迷惑だと思うようになったのかと言われれば、明らかに後者ですよね。

野生の猫なんて以前からいましたが、猫がいるからネズミや蛇なんかが出なかったりもしていた。

昔の人は家にネズミが出るから猫を飼った、っていう人もいるっていう話も聞きました。


でも今は違うような気がします。

全ては人間の頭で考えた世界。

「ああすればこうなる」「こうしなければいけない」

そうやって世界を作ってくると人間にとって不都合なことが多いんです。


野生動物ってその中でも糞尿の問題だったりご飯の問題だったりで、頭を悩ませるんだと思います。

だから野良犬はいなくなり、猫も避妊去勢をして人間が飼うようになり、明らかに外に動物たちはいなくなっています。


でも果たしてそれでいいんでしょうか?

自然をどんどん壊し、人間が作り上げてきた世界っていうのは逆を言うと動物がどんどん住めなくなっている世界ってことです。

それってもう少しすると人間も住めなくなる世界ってことにつながると思うんですよね。

だって人間だって動物なんで。

食べ物は外から買えばいいって言う考えて今の世の中動いていますが、その人たちが「売らない」って言ったら終わりです。

野生動物の話をすると猫がいなくなったらネズミは絶対に増えます。

そうなると今度はネズミを駆除しなければいけなくなります。

ネズミを駆除するとネズミが食べていたような昆虫が増えます。

狼や野良犬がいなくなった世の中では熊や猪、鹿なんかも増えます。

それの繰り返しです。


もちろん人間に害を加えるような動物とは一定の距離を保たなければいけないんですが、どうやったらその距離を保てるのか、どうやったら動物と共生できるのかを考えていく必要があるんだと思います。


それが難しいんですよね・・・


でも「人間が動物をコントロールする」
っていう発想から
「どうやって人間と動物が共生するか」
という発想に変えるだけで見える視点が変わってくると思います。

ってことで今日は「ペット」ってめっちゃ違和感あるんだよな〜ってお話でした。


では🤗

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執筆者
林 潔高
林 潔高
獣医師
林 潔高(はやし きよたか)

2012年に日本大学を卒業後、静岡市内および東京の動物病院で勤務。

2019年から2年半、24時間体制の動物病院「動物救急センター」で勤務。

2021年より東京の動物病院で院長として勤務した後、2023年に独立。

現在、東京・神奈川・埼玉・静岡で往診しています。

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