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自分が食べているものに興味を持つ

ときわのもり動物病院

こんにちは〜

昨日初めて書道展に行ってきた林です。

圧倒されました・・・

全く読めない字がたくさんw

何がいいのかわからないですが、書が持っているパワーはなんとなく感じました。

まぁ初心者なんでそれで十分かなと👍


その帰り道、豪雨に見舞われましたw

またもやビショビショになり感じたことを、筆ペンで書いてみました。

相田みつを風w

Twitterの筆ペンバージョンって感じですかね。

得意分野です😎



さて、オオカミのことを書いたら何人かの患者さんから「オオカミが日本から絶滅したって知らなかった」っていう声をいただきました。


結構知られていないんですね・・・


まぁそれも無理ないですよね。

全然話題にすら上らない。


今テレビをつければ熊や鹿や猪や猿なんかが作物を荒らし、時には人間に危害を及ぼすことが盛んに騒がれています。

あたかも動物が悪者かのように。


そしてそれをやむを得なく殺しているハンターの方達には「動物が可哀想」という声が上がっているみたいですが、ハンターの方々は命懸けです。

熊や猪と対峙するってことは、自分だって死ぬ可能性があるってこと。

じゃあ住宅街に出てきた動物を「かわいいから」という理由でそのままにしていたら、人間の食べ物はどんどん食べられ、それを守ろうとしたら無力な人間は動物に圧倒的にやられてしまうと思います。


皆やむを得ないと思うんです。


自然って、そんなに優しいものではないと思っています。

動物は平気で他の動物を殺しています。

そうしないと生きていけないからです。

猫だって犬だって、外にいたら必ず何かを食べなければいけないので、それが動物性のものだったら命を奪いに行くってことです。

いや、植物にだって命はある。


それを見せてくれているのが動物たちです。


さらには自分だったり子供だったりに危害が及ぶことになるようなら、命をかけてでも向かってきます。


動物は確かにかわいい面を持っていますが、命にとてもシビアです。


一方人間はどうでしょうか?

人間は自分の食べているものの命を、責任を持って自分で奪っているでしょうか?


どうですか??


誰かに任せていませんか??


自分で野菜を育てることもなく、スーパーに行けば気軽に買える。

自分で魚を釣らなくても、誰かが釣って誰かが捌いてくれた魚が、あとは食べるだけの状態で売っている。

自分で動物を殺めなくても、誰かが育て、誰かが屠殺した動物が、その動物の形とはかけ離れた「肉」という形で売っている。

なんならスーパーなんかに行かなくても、ケータイでボタンを押すだけでそれが手に入る。


一方は自分の命をかけて獲物を捉え、山に食べ物が少なくなってくると人間界に降りてきて、命懸けで食べ物を探していたりする。

もう一方は「動物は可愛い」と言いながら、誰かが獲って誰かが殺してくれた動物を「美味しいから、身体にいいから」と言って食べている。


しかもその命が誰の命でどこからやってきて、そして誰がその命を届けてくれたのかなんか全然知らずに。


まぁ自分もその一人であったりするんですよね。


だから、違和感が止まらないんです。


自分が食べるもの、家族が食べるもの、犬猫の食べるもの。


何一つ、自分で育てたものがなく、自分で命を奪ったものがなく、お金を払えば食べ物が手に入るという現実・・・


それでいて「自然を護ろう!!」って言っている現実・・・


違う、人間は自然なんか護れないんですよ。

人間は自然の中にいる。

しかも大きな自然の中にいる、ちっぽけな存在。

だから太陽だったり雨だったり、雷だったり、大地だったり海だったり森だったりに、常に護られながら生きているんです。


その自然の恵みを受けているのが我々人間。

そこには必ず命の奪い合いがある。

だから「いただきます」って言葉も出てきてるんだと思うんですよね。


なんかそこに目をつぶってお金を出せばなんでも手に入る、っていう感じになっているのが気持ち悪くてね・・・

っていうお話でした🤲


では🤗

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執筆者
林 潔高
林 潔高
獣医師
林 潔高(はやし きよたか)

2012年に日本大学を卒業後、静岡市内および東京の動物病院で勤務。

2019年から2年半、24時間体制の動物病院「動物救急センター」で勤務。

2021年より東京の動物病院で院長として勤務した後、2023年に独立。

現在、東京・神奈川・埼玉・静岡で往診しています。

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