当たり前のように動く
こんにちは〜
昨日は群馬に進出した林です。
とりあえず動いてみるものですね👍
なんか最近思考のトレーニングをやりながら、それを自分の身体に落としてどうなるか実験中なのですが、本にも書いてあったし自分でもやっていて「やっぱりこれなんだな」って思うことがあったので、ちょっと書きたいと思います。
昨日もその話になったのですが、後ろ足が麻痺をしてしまった犬のリハビリについて、どういうマインドでやった方がいいのか、みたいな話になりました。
その時に私が説明しているのは
「もうすでに歩いているように、歩いている時のイメージをしてリハビリをしてください」
っていうことを言うんです。
他の病氣もそうですが、何か問題が起きると不安になりますよね。
「このまま歩けないんじゃないか?」
「この症状はもっと悪くなるんじゃないか?」
「これは治らない病氣だからしょうがない・・・」
こんな感じで思ってしまいますよね。
でも、このブログにも何回も書いていますが「病氣=病は氣から」なんですよね。
だから治ると思ったら治るし、生きると思ったら生きるし、逆に風邪だなと思ったら風邪をひくし、自分は遺伝的に癌になるからと思ったら癌になる、そう思うんですよね。
やっぱりね、人間って考えていること以外は起きないんですよ。
そして結局は考えた通りになるんです。
それは自分自身が意識しているかどうかは別として。
自転車なんかはいい例です。
初めは絶対に乗れなかったですよね。
でもいつしか乗れて、乗れるのが当たり前になっているからまた乗れる。
でもこれは子供の時に乗れるようになったからであって、ちょっと考えたら大人になってあの練習をするって、結構なハイリスクだと思うんですよね。
自転車に乗ろうと思ったら、よっぽどバランスのいい人でなければ大体コケます。
もう何回もコケている人もいます。
子供は「乗りたい!!みんなみたいに乗りたい!!!」と乗れている人のイメージを強く持っていると思うんです。
自分だけが自転車に乗ろうとしている場合、「別に周りが乗ってないし、乗る必要もないか」って思ったら、まぁ乗れないですし、「絶対にこんなの乗れないし、乗りたくもない」って思っている子は乗れる前に諦めると思うんです。
乗れるってわかっているから乗れるまで頑張れる。
さらには10年以上乗っていなかったとしても、もうすでに乗れることは当たり前のようにわかっているので、ほぼ絶対と言っていいほど乗れますよね。
その時に「右でペダルを踏んで、ハンドルを握って目線は前にして、バランスをとって、あっ、次は左のペダル・・・」なんてやっていたら、絶対にコケますw
そして誰かさんみたいに鎖骨を骨折するんです😅
できることは当たり前のようにできると思っているんですよね。
なんでもそうなんです。
だから病氣に対する時も今の状態を憂いているだけでなく、もう病氣が治ったとして生活してみると、結構いいんじゃないのかな〜って思うんです。
これは誰かさんの鎖骨骨折の話ですが、1ヶ月ぐらいが経過しもう骨のズレが出ないだろうと言う段階で思ったんです。
「もう骨折したって思うことはやめよう!」
って思って普通に腕を使い出したんです。
そしたら2ヶ月のレントゲンを撮るときに技師さんに「そんなに動くんですか??」って驚かれましたw
さらにリハビリの話も最初はされていましたが、そのレントゲンの後はそんな話もなく、その後は一切病院に行ってません。
「病氣、それがどうしたんですか?今生きていて、息が吸えて、お水が飲めてご飯が食べられて、うんちおしっこが出ていて、さらには外出もできて歩くこともできて、笑うこともできて寝ることもできて・・・」
普通にできていることって無限にあるんですよね。
そして今の犬猫たち、病気で苦しんでいる犬猫ってほとんどいません。
怪我をしたとか内蔵破裂したとか、呼吸が苦しいとか・・・
救急病院に行くような子以外は、結構幸せそうだし、自分のことを病氣だと思っている動物ってほぼいないです。
だからそうやって接してあげればいいんじゃないのかな〜なんて思っているんです.
まぁこれは病氣だけでなく普段の生活もそうですよね。
あれが心配これが心配、って言っていたらそう言う生活になるんだろうし、あれも楽しみだしこれも楽しみだし、って子供のように生活していたら、毎日がウキウキワクワクですよ。
でも人間って悩んでいる自分が結構好きなんですよね〜
では🤗