やらなければいけないことなんて、何もない
こんにちは〜
今年は真面目に畑に行っている林です。
冬は骨折もあったので、そら豆、スナップエンドウ、ニンニクだけしか植えていませんでしたが、開業もなくなり診察のない日は毎日がフリータイムになっていますので、ちゃんとタネから野菜を育てています。
さて、そんなフリーな毎日を過ごしていると「やらなければいけない」って思う事もだんだんと少なくなってきました。
逆に「こうしてください」って高圧的な態度で言われると、めっちゃ違和感を覚えてその人とは付き合わなくなってきています。
そうやって「やらなければいけない」をだんだん減らしていくと、なんだか不思議な感覚になってくるんですよね。
「そのやらなければ、って誰が作った概念なんだろう」って。
例えば小学校。
それまで割と自由に遊んでいた子供達が急に朝早く重たい荷物を背負って勉強しにいく。
それまでは自由に遊んでいたのに、急に教室の中で座って勉強をしなければいけない。
例えば仕事。
なぜか大学3年生後半になってくるとみんながスーツを着て、一斉に就職活動を始める。
しかも、今は少なくなってきましたが、20代前半に決めた会社にその後40年以上変わらず勤務する。
そして動物を飼う、ということにおいては
・ご飯はドライフードやウェットフードで、人間の食べ物はあげてはいけない
・毎年健康診断、ワクチンを打たなければいけない
・犬猫は家の中で飼わなければいけない
・具合が悪くなったら動物病院に連れて行かなければいけない
それ以外にも様々な「〜しなければいけない」っていう概念がありますよね。
これって誰が作ったんでしょうか??
最近それが本当にわからなくなってきたんです。
これらの今の世の中の常識的な概念は、つい数十年前まではありませんでした。
犬も猫も人間の残り物を食べていたし、動物病院がそんなに多くなかった時代は今みたいに頻繁に通院していなかった。
犬は家の前に繋がれて、猫は自由にその辺を歩いていました。
野良犬もいた。
それが普通だったんです。
むしろ世界を見渡せば、そっちが普通な国の方が多いんじゃないでしょうか??
全ては人間が作り出した概念だってことですね。
もちろんそれがいいとか悪いとかは言いませんし、そんなものどんなに騒いだって結論は出ないと思います。
こんなに車が多くなってしまった世の中で、そしてみんなが急いでいるので車の運転も年々荒くなっているように見えるこの世の中で、飼い猫が外に行くっているのはリスクはあります。
でも行ってもいいんです。
そして行かなくてもいいんです。
それでいいと思うんです。
食べ物もドライフードでもいいですし、手作りにしたいんだったらしてもいい。
動物病院だって少しのことで行きたい人もいるでしょうし、自然のままにって思う方もいる。
それでいいんです。
そうやっていけばいいんです。
が・・・
習慣ってすごいものですよねw
そうやって潜在意識というか、深いところに根付いてしまった概念ってなかなか払拭できないんですよね。
常識、世間の目、自分の正義感。
色々なものが邪魔をして、一から考えるということができなくなってしまっています。
実際に私も「これおかしくないかな??」って思いながらも続けていることがあると思います。
でも思い切ってそこを振り切って「おかしいからこうしよう」って思って生きていると、見える世界が変わってきます。
「これでも良かったんだよね」
そう思えてくるんです。
こうしなければ、を無くして、「これでもいい」ってなるとすごい楽になります。
そしてそうやって考えると周囲に対しても「それでもいいじゃん」ってなってきます。
大体の揉め事ってどちら方「これはこうするべき」から始まると思うんですよね。
「動物はこうやって飼うべき」
「動物を飼うならこれはやるべき」
「子育てはこうすべき」
「夫婦なら一緒に住むべき」
「一度やると決めたら最後までやるべき」
そうやって自分の考えを相手の立場を考えずに押し付ける。
そうすると相手のする行動は2つです。
・反発する
・我慢してそれを受け入れる
反発すると喧嘩になります。
我慢してそれを受け入れるとどうでしょうか?
一件落着のように見えますが、その我慢は相手の中で膨らんでいき、いずれは耐えられなくなります。
これ、どっちも平和じゃないような気がするんです。
そうじゃなく
「私はこうするけど、あなたはそうするのね」で終わらせたら、みんな幸せなんです。
そしてそれを自然にやっているのが動物であり、人間の子供です。
子供の喧嘩は激しくやりますが、割とすぐに終わります。
一方大人の喧嘩はずっとネチネチしていますw
「やらなければいけない」を「やってあげたい」「やりたい」に変えるだけで、結構楽になるんじゃないかな〜っていうお話でした🤲
では🤗